• DHC酒造について

会社概要

商号
株式会社DHC酒造
設立
昭和25年11月24日(創業/明治41年10月1日)
資本金
3,000万円
本社
新潟県新潟市北区嘉山1丁目6番1号
業種
清酒製造業
従業員数
19名
取引銀行
第四北越銀行

DHC酒造のあゆみ

明治41年10月1日創業
製造免許最小限の300石で、現在地に於いて酒造を開始。
昭和5年〜昭和10年
酒造容器の改革(木桶からホーロータンクヘ)及び瓶詰め市販酒の販売により造石数を一挙に伸ばす。
昭和13年
戦時体制に入り、統制経済のもと企業整備の結果操業工場として存続する。
昭和25年11月24日
小黒酒造株式会社設立
昭和39年10月
酒造新工場完成。
昭和40年9月
資本金1,000万円に増資
昭和58年5月
越乃梅里ブランドを新発売する。
昭和63年3月
都市計画道路新設の為、製造工場の一部を改新築。
平成7年11月
関東信越国税局酒類鑑評会に於いて酒席第一位に当たる最優秀賞を受賞。
平成8年6月
高級酒の製造能力を向上させる目的に依り設備投資計画を策定。第一次投資実行。
平成14年11月24日
農林水産省の有機JAS認定工場に登録される
登録認定機関…ASAC
平成21年3月
「嘉山」誕生 嘉山誕生秘話
平成26年8月
株式会社DHC小黒酒造 登記完了
平成28年10月
株式会社DHC酒造 登記完了

DHC酒造受賞歴

全国新酒鑑評会
  • 1992年金賞
  • 1993年金賞
  • 1994年金賞
  • 1997年金賞
  • 1998年金賞
  • 1999年金賞
  • 2001年金賞
  • 2004年金賞
  • 2007年金賞
  • 2018年 金賞
  • 2021年 金賞
  • 2022年 金賞
関東信越国税局
酒類鑑評会
  • 1990年秋第51回金賞
  • 1991年春第52回金賞
  • 1991年秋第53回金賞
  • 1994年春第58回金賞
  • 1994年秋第59回金賞
  • 1995年春第60回金賞
  • 1995年秋第61回首席第一位
  • 1996年春第62回金賞
  • 1996年秋第63回金賞
  • 1998年秋第67回金賞
  • 1999年秋第69回金賞
  • 2000年春第70回金賞
  • 2000年(秋は中止)
  • 2001年春第71回金賞
  • 2001年秋第72回金賞
  • 2002年秋第73回金賞
  • 2004年秋第75回金賞
  • 2006年秋第77回金賞
  • 2007年秋第78回金賞
  • 2008年秋第79回金賞
  • 2018年第89回      吟醸の部 優秀賞
  • 2019年第90回      吟醸の部 優秀賞
  • 2020年第91回      吟醸の部 優秀賞
  • 2021年第92回      吟醸の部 優秀賞
全国燗酒コンテスト
ワイングラスで
おいしい日本酒
アワード
インターナショナル
ワインチャレンジ
Kura Master
ミラノサケチャレンジ
世界酒蔵ランキング
  • 2020年49位ランクイン
  • 2021年24位ランクイン
  • 2022年40位ランクイン
越後流酒造技術選手権大会
  • 令和2酒造年度3位入賞
全技連マイスター
  • 令和4年認定杜氏

DHC酒造風土

新潟県は自然が色濃く残っているところです。海の幸、山の幸、川の恵み…

豊かな自然の産物がいたるところにある。
そのお陰で沢山の美味しい食材に恵まれています。
それが新潟県です。

新潟県は「日本」全体を縮小したような形をしています。北部、中部、南部、そして佐渡、粟島の島々…に区分できます。
北部を下越または北越、中部を中越、南部を上越…と呼ばれています。
都である京都に近い地域の順に「上越(上)」「中越〈中)」「下越(下)」という区分です。
新潟県は一方は海ですが、三方を山に囲まれた土地で、
山形、福島、群馬、長野、富山の各県に行くには、必ず険しい山を越えなければならない、という土地柄です。

その三方の山々に、冬になるとシベリアからの季節風が吹き荒れて、大量の雨や雪を運びます。三方の山々が丁度「屏風」のように立ちはだかって大雪を降らすのです。
北から南まで、実に多くの河川があり、
これらの山々から日本海に向って、雪解け水を運びます。これが新潟県に多くの恵みを与えてくれるのです。
ですから、清らかな「うまい水」なのです。水質は「軟水」が多いのです。

そういう土地柄のせいか、例えば企業も、昔から新潟県一県だけの独立した支社支店を配置してきました。新潟県は大きな単位でみれば、「孤島」…のような、自然の位置環境です。

新潟市を中心にして(南西から北東までは日本海ですが)越後平野が広がっています。
これにも地域によって区分されていまして、各々文化が異なります。
北方のそれは「北蒲原」…私共「越乃梅里」の蔵は、ここ北蒲原にあります。以下…東蒲原、西蒲原、南蒲原とありまして、広大な田んぼの群れまた群れ…という感じです。
昔を思い出すと「行けども、行けど、も田んぼばかり」でした。
信濃川と阿賀野川が交差して作られた平野です。暴れ河を制するのにどれほどの困難、労苦が費やされたことでしょう。そのお陰で、今日の「米の王国」があるのです。

新潟県人は昔から「人がいい」ことで定評があります…ホントですよ。江戸まで餅つきを手伝うために出かけて行くくらいですから。
新潟県人は取っ付きは悪いかも知れませんが、
心の交流が芽生えると、とてもつき合い易い「人柄」に気づきます。
真面目、誠実、我慢強く、でも無口…稀に「コンペイさん」みたいな人もおります。
古くは上杉謙信、小林虎三郎、山本五十六、田中角栄さんのような偉人もおられますが、杉と男は育たない…などと揶揄されるくらい「人のいい」新潟県人です。

明治41年の創業時は加治川支流の伏流水を汲みあげて酒造用水として用いてきましたが、その後、規模拡大と共に頓挫。新たな水源を阿賀野川(上流からの導水)に求める為に多大の苦労を強いられました。
現在は優れた軟水に恵まれて、安定した酒質を得ることが出来るようになりました。

旧豊栄市 (蔵のあるところ)

当蔵がある旧豊栄市は、新潟県の穀倉地帯の中心部に位置し、近隣から良質の酒造米が供給される環境にある。県都新潟市の北東23kmにあり、海へも、山へも、ほぼ同等の距離にある。
蔵の近くには「21世紀に残したい自然百選」にも選ばれた野鳥の宝庫「福島潟」があります。

福島潟は新潟県に数多くあった潟湖の姿を今に残す唯一の場所で、私たちの暮らしと密接に関わってきた潟です。今までに220種以上の野鳥・350種以上の植物が確認されている自然の宝庫。直径2mもの葉を持つ巨大な「オニバス」の自生の北限です。

たくさんの植物がはえる潟には、たくさんの小鳥が飛んできます。カムチャツカ半島から3000kmも旅してくる、国の天然記念物「オオヒシクイ」の飛来数日本一を誇っています。

自然に包まれて幸せな気分にひたり、自然が心を癒し至福の時に誘ってくれるのを実感できる、「自然文化」を宿し育んでいくところです。