わが蔵の歴史


小黒酒造歴史と伝承

二代前に分家独立した「五泉の小黒」の隆盛に倣って酒造りを始めたのが当蔵の出発でありました旨、伝えきいております。
私の曽祖父にあたる小黒粂治が長女を連れて北蒲原郡葛塚町大字嘉山に隠居、酒造免許を取得、「隠居仕事」と称して酒造事業を興した訳です。明治41年10月のことです。五泉の小黒の銘柄は「松の雪」、どんな酒であったのかは、もはや知る由もありませんが、ともかく「五泉の小黒」がキッカケで「葛塚の小黒」がスタートした様であります。

小黒粂治は自田からの収穫米を原料米に、近くの砂丘地の井戸水を仕込水にして酒を醸し、出来た酒は地元の消費者に直接売り捌いていた様です。当時は醸造技術が劣悪で腐造が多く、当蔵も酒倉とは別に酢倉を持っていたそうですから、酒造事業は大変なリスクが伴っていたことが想像されます。

大正9年に粂治が亡くなり、代わって養子の岩人が引き継ぎます。やがて彼は大蔵省の醸造試験場にて酒造技術を修得して自ら杜氏を努めながら合理精神を発揮して、それまでの経験則一辺倒の酒造りをシステム化させていきます。岩人は科学的な裏付けを得ることによって、酒造の仕組を改革して高収益をもたらし、現在の当蔵の基礎を築きました。

特筆すべき事例の第一は琺郷タンクの先駆的採用であり、第二に当時としては珍しいぴん詰商品を出荷したことです。衛生管理が可能になり酒質は向上し、欠減を防ぎ、生産拡大と増収益に貢献したものです。当時は第一次大戦後の景気も衰え、不況の嵐が吹き荒れて大方の蔵元が苦戦を強いられた中で、当蔵が益々隆盛となり得たのは、他ならぬ革新技術の先駆導入にあったことは明らかです。この頃、銘柄を「朝日晴」に改め、昭和7年には本蔵を新築し、販売方法も小売店への直売方式を拡大し、顧客の確保に努めました。

昭和12年支那事変の勃発により日本は戦時体制へと進み、原料米は割当制となります。
昭和16年第二次大戦がはじまるや、酒の販売は配給制に、企業整備の渦は蔵の存亡に迫り、軍の命令によってブドウ酒を造ったり、と幾多の困難に直面しながら敗戦後は造石数も400石位にまで下がり、経営が出来なくなる水準にまで追い詰められた時代がありました。しかし、昭和23年の全国的な大腐造の折も、当蔵は被害なく、その力を温存できたことは幸いでした。そして、その頃から次第に原料米の割当てが増え回復への道を歩むことが出来る様になります。
時は移り、自主流通米制度の登場による自由生産の時代を迎え、岩人は昭和39年、高さ16mの鉄筋コンクリート酒造工場の建設に着手します。近代化工場に投資するという一大決心を支えたもの、それは創業以来の合理精神だったのです。

「新しい歴史」

昭和40年代に入ると自主流通米制度が登場します。酒造権利(造石数量のこと)は白紙同然となり、実力のある蔵は自由に必要量の酒造りが可能とたりました。規制撤廃、自由化の波、到来です。灘や伏見の大手メーカー全盛の時代を迎え地方蔵苦悩の始まりで、地方蔵はどうしても勝てないと考えられていた時代でした。
こうした状況の中で、わが蔵は昭和44年にキリンビール特約店となり、多角化経営への道を選ぴます。日本酒だけでは不安と考えたのか、夏場の閑散期対策と収益の確保を狙ってか、卸業への参入です。それはキリンビールという(当時は)絶対的に強みを持ったブラソド力を背景とする事業の拡大です。

しかし10年程経って、よい時代にカゲリが見えてきます。「キリン神話」が崩壊しつつあったからです。普遍的なことですが、他社ブランドに頼る経営姿勢は、結局自己の存在価値を減らします。わが蔵も例外ではなく先が見えなくなり、収益力も減退してきたのです。
昭和58年に「梅里」という名の本醸造を発売しました。遅ればせながらの新発売でした。
「越乃梅里」が本格的に発展するようにたったキッカケは、東京・新宿に本店のある伊勢丹との取引です。「顧客づくりを手伝う」というテーマに向かって実践した想い入れが種々の提案となって受け入れられ、新しい商品を生み、そしてそれらが結果として売上実績をつくるという好循環をもたらしたのです。

県外への売上増大が著しくなったのは平成4年頃からのことです。顧客の立場で考えることが、実は自分の立場を支えてくれるということに気付いた結果でした。平成元年に東京新宿に本店を置く『伊勢丹』と取引する事が出来ました。
平成7年秋、関東信越国税局鑑評会で首席第一位を受賞。思ってもみなかった幸運を手にします。人々の「越乃梅里」に対する関心度と酒質に対する信頼度を増幅させてくれました。かって、2,000石を割ろうとしていた出荷石高は僅か数年の間に4,000石を超え、特定名称酒比率75%という水準に達していたのです。反対に卸業のキリン商品は減収減益の一途を辿り、日本酒の売上高がそれを陵駕してしまいました。本業回帰の成功です。

昔の社屋しかご存じない方にも是非おいで頂きたいのですが、豊栄市の都市計画整備事業に伴たう工場の改築で様相が一変しました。蔵の内部も随分変りました。新しい需要に対応するために、量と質両面の改革が求められているからです。
いま時代は極端な買い手市場だと思います。造り手、売り手の都合よりも、消費する顧客の願望が勝る時代です。「顧客選択」の時代です。もう一度基本に戻り、事業の存在価値を再度築き直す時にきているのかも知れませんね。わが蔵の新しい歴史のための発想の転換は是非にも必要です。

小黒酒造株式会社
代表取締役社長 小黒秀平